我々は言葉にて語り得るものを語りつくしたとき、 言葉にて語り得ないものを、知ることがあるだろう。 ~ウィトゲンシュタイン~
20代、特に学生時代は、論理的思考能力こそプレゼンテーションに必要な能力だと思って、 「論理的思考能力」とか「ロジカルシンキング」というキーワードがある本は片っ端から読み漁りました。
サークルでも、ESSという英語サークルでディスカッションセクションに入り、 ロジックの三角形、CCF、NLCといったプレゼンテーションスキルを実践にて磨きました。
社会人になり、何年かたつに従って、「あれ?」と思う場面が出てきました。 言っている事は絶対に正しい。
論理的にも穴はない。
なのに伝わらない。 言っていることは正しいのに、首を立てに振ってくれない。
協力してくれない。 なぜだろう? 結局、論理的な思考力だけでは片手落ちだという事に気付きました。
伝達する。
相手に、伝え、達する。 こちらから一方的に伝えるだけではダメで、 達しなければならない。
相手の立場に立って、
相手の言葉を使って、
共感、共鳴しあう中で物事は進んでいくという事がわかりました。 人間だから、感覚、感情の世界を無視できないのです。
こんな事も起こりだしました。
空気が重い。昨日何かあったのだろうか? 自分が休んだ次の日に、店に入ると、こんな事を思うときがあります。
そして、メンバーに聞いてみると、
「昨日喧嘩がありました。」
「昨日予想以上に忙しくてなかなか仕事が終わりませんでした」
なるほどな。と思うわけです。
この感覚を言葉でいい表せるか?というと、無理です。 完全に肌感覚の世界。
直観の世界です。 論理的思考力を身に付けるだけでは達し得ない世界です。
では、論理的思考力は必要ないか?というと そうでは、ありません。
論理的に考えて考えて、悩んで、脳みそに汗かいて、 行動し続けた結果として、直観の世界に突き抜けていくと思うのです。
あれ?データ上、こうなっていくはずなんだけどどうしてだ? 論理的にこうにしかならないはず! なんでだ?なんでだ?
こうやって、自分の中の仮説を現実にさらす中で、 感覚が磨がれていきます。
自分の中に仮説が無ければ、行き当たりばったりなので、 結局感覚は磨がれていきません。
だからこそ、直観力を身に付けたければ、 論理的に考える事を徹底的に行う事が実は近道なのです。
そして、いつか突き抜ける瞬間が出てきます。
世界最強の武器を持った二人が争う時、 その二人の勝敗を分けるのは精神的な世界です。
武器は模倣する事ができる。
論理的であるということは、 同じく誰がやってもそうなるというものです。
しかし、精神的な世界は真似できません。 そこには個性が働きます。
一人ひとりがその日の体調やその人の今までの経験、 視点によって待ったく別の判断を下すでしょう。
それが、直観の世界だと思います。
だからこそ、まずは世界最強の武器を身に付ける。 そして、精神の世界で戦えるようにする。
それが、私が30代で行いたい事の三つ目です。