日々是成長

~Now And Here~

第九十八話 論理的思考力から感覚的直観力へ

我々は言葉にて語り得るものを語りつくしたとき、 言葉にて語り得ないものを、知ることがあるだろう。 ~ウィトゲンシュタイン

20代、特に学生時代は、論理的思考能力こそプレゼンテーションに必要な能力だと思って、 「論理的思考能力」とか「ロジカルシンキング」というキーワードがある本は片っ端から読み漁りました。

サークルでも、ESSという英語サークルでディスカッションセクションに入り、 ロジックの三角形、CCF、NLCといったプレゼンテーションスキルを実践にて磨きました。

社会人になり、何年かたつに従って、「あれ?」と思う場面が出てきました。 言っている事は絶対に正しい。

論理的にも穴はない。

なのに伝わらない。 言っていることは正しいのに、首を立てに振ってくれない。

協力してくれない。 なぜだろう? 結局、論理的な思考力だけでは片手落ちだという事に気付きました。

伝達する。

相手に、伝え、達する。 こちらから一方的に伝えるだけではダメで、 達しなければならない。

相手の立場に立って、

相手の言葉を使って、

共感、共鳴しあう中で物事は進んでいくという事がわかりました。 人間だから、感覚、感情の世界を無視できないのです。

こんな事も起こりだしました。

空気が重い。昨日何かあったのだろうか? 自分が休んだ次の日に、店に入ると、こんな事を思うときがあります。

そして、メンバーに聞いてみると、

「昨日喧嘩がありました。」

「昨日予想以上に忙しくてなかなか仕事が終わりませんでした」

なるほどな。と思うわけです。

この感覚を言葉でいい表せるか?というと、無理です。 完全に肌感覚の世界。

直観の世界です。 論理的思考力を身に付けるだけでは達し得ない世界です。

では、論理的思考力は必要ないか?というと そうでは、ありません。

論理的に考えて考えて、悩んで、脳みそに汗かいて、 行動し続けた結果として、直観の世界に突き抜けていくと思うのです。

あれ?データ上、こうなっていくはずなんだけどどうしてだ? 論理的にこうにしかならないはず! なんでだ?なんでだ?

こうやって、自分の中の仮説を現実にさらす中で、 感覚が磨がれていきます。

自分の中に仮説が無ければ、行き当たりばったりなので、 結局感覚は磨がれていきません。

だからこそ、直観力を身に付けたければ、 論理的に考える事を徹底的に行う事が実は近道なのです。

そして、いつか突き抜ける瞬間が出てきます。

世界最強の武器を持った二人が争う時、 その二人の勝敗を分けるのは精神的な世界です。

武器は模倣する事ができる。

論理的であるということは、 同じく誰がやってもそうなるというものです。

しかし、精神的な世界は真似できません。 そこには個性が働きます。

一人ひとりがその日の体調やその人の今までの経験、 視点によって待ったく別の判断を下すでしょう。

それが、直観の世界だと思います。

だからこそ、まずは世界最強の武器を身に付ける。 そして、精神の世界で戦えるようにする。

それが、私が30代で行いたい事の三つ目です。