言葉の本質は、
単純化、構造化、論理化
つまり、複雑に絡み合うアナログな世界を単純に捉えようとする。
構造化したり論理化したりして、理解しやすいようにする。
という事は、結局はその時に
「大切な何か」
が伝わらない事がある。
では、その伝わらない部分。
言葉にならない部分はどうやったら伝わるのか
もうそれは、同じ空気を吸って、同じ場を共にしながらでしかない。
つまり、直伝とか伝授といったものになる。
伝統もそうやって作られていく。
一流の大工さんが本を書いたとして、その本を読んだからといって、
その大工さんみたいな技術が身につくか?
といったら決してそうではない。
その大工さんの弟子となり、
言葉にならない「感覚」の部分を身に付けていかなければならない。
長島監督のコーチ法は
「球がビューっときたら、ヒュッって振るんだ」
というもの。言葉にはできないん感覚を伝えようとしている。
長島さんの定義する、「ビュー」とか、「ヒュッ」ってものを、
同じ空間を共有する中で学んでいかなければならない。
どんなに文明が発達しても、結局人は、対面でしか本当のコミュニケーションはできない。
たくさんの経験を持ち、たくさん自分の言葉を持つ。
そして、たくさんの人と同じ空気の中、
同じ場を共有して物事を伝えらられるようになりたい。
われわれは、言葉で語りつくした後に、言葉では語りえない何かを身につけるだろう。
ある哲学者の言葉。