昔、「人工知能」を開発する研究において、
コンピュータを使った、興味深い実験が行われました。
人工知能に「心理カウンセラー」を演じさせる実験です。
この実験においては、
まず、コンピュータに、
一定のルールに従って、クライアントに簡単な質問をし、
その返事に対して、予め決められた相槌を打つよう、
プログラミングをしておきました。
そのうえで、クライアントには、
相手がコンピュータであることを知らせず、
キーボードを使って、そのカウンセラーと対話をするよう、
指示をしました。
そして、何人ものクライアントに、
この「人工知能カウンセラー」と対話をしてもらったところ、
不思議な結果が得られたのです。
多くのクライアントが、
相手がコンピュータの人工知能であることも知らずに、
「とても心が癒された」との感想を述べたのです。
この実験結果を見て、
ある人工知能の専門家は、語りました。
人工知能でも、人の心を癒せる。
しかし、
この実験結果の意味を深く見つめるとき、我々は、
それが、別な真実を教えていることに
気がつきます。
人間は、誰もが、自らを癒す力を持っている。
そのことに、
気がつくのです。
【感想】
自分に起こる全ての現象は、捉えようだということを改めて感じました。
「病は気から」という言葉があるように、
心の持ち方で、そのことが自分にとってよかったことにもなり、
不運な事にもなります。
私は、全ての事に無駄は無いと思っています。
起こる全ての事は意味があると思っています。
過去の、あの出来事があったから今の自分があると思えます。
高校三年生の受験に落ちて浪人した事、
目指していた国立大学に受からず、私立大学に入学した事、
新卒社員として入社した会社をたった8ヶ月で辞めてしまったこと、
これらの事は、捉えようによっては不運な事かもしれません。
しかし、
浪人時代に、恩師と呼べる先生と出会えました。
自分の志望する大学ではなかったですが、かけがえの無い仲間、経験ができ、
社会人としてもその経験が十二分に発揮されています。
新卒で入った会社での経験は今でも活きていますし、あのタイミングで辞めたから
現在の会社とも出逢えて6年の歳月が流れています。
全て、心の持ちよう、捉えようで何事も意味あるものと捉えられます。
そして、そう考えられる事が「自分を癒す事」に他ならないと思います。