書籍というのは、年間で約60000点出るそうです。 仮にその1%が読むべき本だとすると年間に600冊読まなければならないことになります。 文化庁の統計によると、月に7冊以上読む人は、16歳以上の日本全体の3.3%だとのこと。 仮に、月10冊読んだとしても120冊、600冊には到底届かない。 しかも、苫米地氏は月に300冊読むのが理想だという。 となると一日10冊。もはや天文学的数字だ。 月に300冊と言われるのも衝撃的だが、読書法に関する考え方も視点が面白い。 読書の時だけ、スピードを上げる、つまり速読しようと思ってはいけない。 生活全てを速くする。全ての時間を2分の1の時間で済ませるように工夫をする中に 速読を位置づけなければ、本来的な速読ではないという。 本書の題名にもあるクロックサイクルとは、コンピュータのCPUの演算処理速度の事であり、 人間でいうならば、脳の情報処理速度の事。 そして、クロックサイクルを上げる方法は「慣れ」だという。 田舎と都会の時間の速度が違う。 楽しい時とつまらない時の時間の体感速度は違う。 というように、時間の感じ方は脳の慣れによる所だと。 そういえば、ある先生に時間の使い方がうまくなるためには、 自分のキャパ以上の仕事を引き受けることだと言われたのを思い出した。 どんなに計画を立てても、手帳を使っても時間の使い方はうまくならない。 少ない時間をどう効率的に使うか?を実践しない限りは時間は上手に使えないという。 ごもっともだと思う。 最近流行っている読書法の流れとして、 「読む目的を決める」という方法に対しても異論を説いている。 それは、スコトーマ(心理的盲点)をより強化してしまう事に他ならず、 自分のほしい情報を得るというよりは、 自分の知っている情報を確認するという読み方になり、 その本にある本当に必要だったかもしれな情報を落としている可能性があると。 本を読むの目的など決めてはならず、むしろ最終型は「無我」で読めという。 こんな所でも、無我とか無境界と言われるのか^^;といささか苦笑いをしてしまったが 面白い考え方だ。 無我で読むことは、仏にでもならないとできないが、 折衷案として著者になりきって読むということを提唱されている。 奥付を見て、著者の人となりを想像し、この本で何が言いたかったのかを読めば、 自分のほしい情報という凝り固まった視点ではなく、 自分にとって本来必要な情報が手に入ったり、 自分の視点を変えてくれる出会いがあったりするという。 言われてみればと納得してしまう自分がいる。 人は、見たいものしか見えない。 それが、スコトーマというもの。自我ありありで読書をすると、見たいものしか見えず、 重要なことを見落とす。その意味においては、無我の読書というのは一理ある。 月300冊読めるようになるかは別として、月10冊はキープしたい。 私も実はフォトリーディングの講座を受けて修了証を貰っている。 フォトリーディングも脳の機能を活かした合理的な読書法だと思うが、 苫米地氏のおっしゃるとおり、読書の目的を定めることで自己限定をしてしまう読書法の一面もある。 ただ、苫米地氏はその方法論をより抽象的に捉えて活かしている。 フォトリーディングにおいて、大切なのはカラーバス効果だと私なりには理解した。 カラーバス効果というのは、『赤い車』と意識すると、 何故かその日に赤い車がよく目に付くという効果で、 簡単に言えば、脳にキーワードを拾うためのフックを作るイメージだ。 読書の目的を決めるというのは、この脳へのフックを作ることであり、 本をめくる中でそのキーワードが浮き出てくるようになる。 そして、その周辺を読みこめば、だいたい自分のほしい情報は読み取れるということ。 苫米地氏の速読に対する考え方は、速読して多読することで、 勝手に今まで見たことあるキーワードが浮き上がってくるとのこと。 つまり、無我状態で読みつつも、速読を通して多読することで、キーワードが浮かび上がり、 一つのゲシュタルト(認識のかたまりのネットワーク)ができあがる。 点と点が勝手に線となり、面となっていくイメージなのだろう。 自我的にカラーバス効果を使うのではなく、 無我的にカラーバス効果を引き起こすということだろう。 そのためにも、苫米地氏は自分に全く関係ないジャンルの本をアマゾントップ100などから 読んでいく事を提案されている。 突拍子もない発想のように思えて、ロジカルな印象がするのはとても不思議だが、 この読書法、ちょっと意識してみたいと感じた。 facebookページでもよろしくお願いします http://on.fb.me/eTeBE4