牛乳を「発酵」させると「ヨーグルト」ができる。 牛乳を「腐敗」させると「腐った牛乳」ができる。 では、「発酵」と「腐敗」の違いは、何か。 教科書には、こう書いてあります。 「発酵」も「腐敗」も、微生物が有機物質を分解する性質。 そのうち、 人間にとって有益なものを「発酵」と呼び、 人間にとって有害なものを「腐敗」と呼ぶ。 この「微生物の性質」に関する定義を読むとき、 我々は、その「客観性」を超えた「人間中心」の定義に、 密かな驚きとともに、ある微笑ましさを感じます。 しかし、この定義をもう一度深く読むとき、我々は、 それが、ある「隠喩」であることに気がつきます。 この「微生物の性質」を論じるときの「人間中心」の視点は、 我々が「人間の性質」を論じるときの「自己中心」の視点を 教えてくれるようにも思えるのです。 「微生物の性質」を見るとき、我々は、 人間にとって有益なものを 「発酵」と呼び、 人間にとって有害なものを 「腐敗」と呼びます。 同様に、 「人間の性質」を見るとき、我々は、 自分にとって有益なものを 「長所」と呼び 自分にとって有害なものを 「短所」と呼んでいるだけなのかもしれません。
【感想】
自分の都合のよいものと悪いものとで言うならば、
「常識」もそうであると思いました。
結局は、ものの見方なのだと思います。
多面的にものを見る力が必要であり、
多面的にものが見えれば、短所と思うことも実は長所と見えたり、
長所と思うところにも短所となる部分が見えたりします。
最近上司に「立場の認識をした発言をしなさい」
と指摘を受けました。
私は、上の人間に対して言いたいことを遠慮せずに言う事があります。
その為に「とんがっている奴だ」とよく言われるのですが、
それは、いい部分でもありますが、相手の立場を考えた
発言ができていないということでもあると言われました。
相手がどんな立場なのかを理解する事。
経営者、社長、先輩、父親、兄貴、
等の顔を皆持っています。
自分の発言がそのどの立場のその人の心に触れる発言なのかを
考えてものが言えるようにならなければならないと指導を受けました。
それは、相手にこびへつらうとか、空気を読んで自分の言いたいことを
遠慮するとは違う感覚です。
それも思いやりという言葉の一部分なのかもしれません。
多面的に見る事、どの立場でもの見るかということ、今後も意識したい
と思いました。