北山に住む90歳近い愚公という人は、 北を塞いでいる一万ジンもある二つの山を崩し、 南に通じる平坦な道を切り開こうと考えた。
これを家中の者に相談した所、子や孫は賛成したが、 細君だけは疑いをさしはさんだ。
「年寄りの力で、小さな丘でさえ切り崩す事はできないと思うのに、 太行山と王屋山のように高い山がどうなるものですか。 だいいち、崩した土や石をどこに置くつもりですか」
というわけだ。
「土や石は渤海の浜へでも捨てればよかろう」ということで、 三人の子や孫を引き連れて山に行き、崩した土や石を 箕(み)やもっこで渤海の浜へ運び始めた。
近所の七~八歳の男の子も手伝いに加わった。
何しろ、渤海まで一往復するのに一年がかりという、 気の遠くなるようなありさま。
これを見た知叟(ちそう)という男が笑いながら言った。
「馬鹿さ加減もいい加減にしたらどうだ。 行き先短い体で、山の一角さえ崩しきれまいに。」
すると愚公翁さんは哀れむように答えた。
「あんたみたいな浅い考えの持ち主には、到底分かるまい。 あんたの知恵は、あの小さな子供にも及ばない。 たとえ自分が死んだとて子は残るし、 それが子を生み、孫はまた子を生む。子孫は絶えることはあるまい。
子孫代々山を崩し続ければ、いつかは平らになるはずじゃ。
崩した山が元に戻る事はないからな」
知叟も、これには反論のしようもない。
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