【差別思想の根源にある穢れの概念】
支配階級は、誰が一番クリーンであり、誰が一番穢れているかという恣意的な判断基準を私たちに押し付け、階層をつくり、私たちをその中に閉じ込めた。
その穢れの概念こそ、差別思想の根源である。日本の神道は、道教の影響を強く受けており、死の世界が穢れているという思想は、道教のものであり、お清めに塩をまくという週刊は、仏教にはない。
浄土真宗などでは禁止しているが、なぜか一部の仏教宗派ではそれを許している。
【宗教という支配のための道具】
宗教とは、”あの世”の論理であり、”この世”にその論理を持ち込んでくることは、許せないわけです。まして、それを国の論理に持ち込むとしたら見逃して済む問題ではなくなります。
支配階級の論理で言うと、一番クリーンな人とは、例えば神社やお宮のなかにいる人たち、一番穢れているのは
死体を扱う人たちで、その間にいくつもの階層を作りました。
キリスト教社会においても、バチカンに近い人たちほど偉いとされていました。
政教分離を掲げる日本においても、こうした支配者の論理はちゃんと維持されてきました。
【不思議な「日本教」の存在】