知人から、以下の話しを聞いた。 ある日仲良しの子供が2人で遊んでいました 遊びに夢中になっていると1人の子供が深い穴に落ちてしまいました もう1人の子供は大人に助けを求めようと急いで近くの家に駆け込みました 「どうしたの?!」と聞く大人に子供は息を切らしながらこう言いました 「!!!」 …子供はなんと言ったか? 「友達が高い穴に落ちちゃったの!助けて!」 深い穴に落ちて地上を見上げる友達… 深い穴に落ちた友達を地上から見下ろす自分… 本来ならば「深い穴に落ちた」と言うはずなのにその子は「高い穴に落ちた」と言った なぜなら落ちた友達の目線としてではなく その子の心そのものが友達と一緒に深い穴に落ちたから だから息を切らしてとっさに出た言葉でさえも穴から地上を見上げた言い方 つまり「高い穴」になった これ実話 一方で、被災したこども達が転校をしたその日に、 『放射能が伝染るから、あっちへ行け』 と、いじめを受けたという。 こどもの感受性に影響を与えるのは私たち大人ではないか。 大人の『横顔』と『背中』を見てこどもは育つ。 買い占めたり、風評に煽られたり、無駄な自粛をしたり。 その大人の行動を少なからずこどもは見ている。 だから、『放射能が伝染るからあっちへ行け』となる。 こどもは何も悪くない。 こどもは大人の映し鏡。 『共感』とは何か。 目の前のあの人の姿は、 私の姿ではなかったか。 そう思えること。