もしも、地球から、戦争、飢餓、貧富の差がなくなったとしたら?次の人類の課題って何だろう? って考えた。 何なんでしょうね。 もしひとつの答えが、 地球との共存 としたときに、単純に人類は、子孫を残し続けていくことが命題になると思うのですが、 何のために子孫を残し続けるの? 地球もいづれ熱死という時を迎え、終わりを迎える時が来るということがわかっている時に、 人類の努力は完全に無かった事になるんだけど、 じゃあ何のために努力するの? 何のために生きるの? って、考えれば考える程、 結局自己満足のために生きるんじゃない? って思えてなりません。 「自己満足」という言葉は、自分勝手という意味を想起させてしまいそうですが、そうではありません。 自分の死に際に、 「おれの人生本当に幸せだった!」 って思って死にたい。ただそれだけの事で、自分勝手の人生に、幸せだった!って思って死ねる事ってあるのかな?と思うとそんなことはなく、 やっぱり、自分だけでなく、自分の周りの人との関わりの中で幸せを感じる事が人としての本来の幸せ観ではないかと思うのです。 本来、人は誰かのために自分を尽くしたいという思いがあると思います。 なぜなら、母性本能、父性本能と呼ばれる、子供のためなら自分を犠牲にしてもかまわないという気持ちがあるから、 その延長線上に、誰かのために、自分の力を使いたいという気持ちを本来持つものではないか?と思うのです。 自分はどう生きたいか、 自分は誰のために生きたか、 自分は、誰を愛したか、 そして、どれだけの人に愛されたか? その事において、悔いのない人生だった。と思って死ねたら、いいんじゃないかなって思います。 自分の目に映る人を幸せにしたい。 自分の目に映る人のみならず、関わらないであろう人の幸せにかかわりたい、未だ見ぬ人のために働きたい。 それが、僕の自己満足の定義なのかもしれない。 この自己満足を達成できたら、きっと死に際に、 おれの人生、最高だったぜ。 と、言って死ぬことができると思う。 決して、地球が僕の死んだ、次の日に爆発したとしても、それでいいんだと思う。