死生観を持つ。
このことの大切さを知ったのは、よく言われているように、
「自分が生と死の狭間を生きた経験があるから」
ではありません。しかし、
自分はいつか死ぬ。
この人生は一度きり。
その死はいつ訪れるか分からない。
このことは、とても重く響き、日々を一生懸命生きたいと思うようになりました。
この気持ちになったのはいつからか?
なぜ、死生観をもてるようになったのか?
その時に、この言葉を思い出しました。
「今の自分に全力投球」
小学生の時から、ずっと父に言われていた事。
自分の人間としての価値観生成の源泉は父の言葉であることを強く感じます。
オール5じゃなくてよい。どれか、一つでも得意な事を作りなさい。
勉強ができる事よりも、一日も休まず学校に行く事のほうがよっぽど大切だ。
私はは10歳になった時に父とある約束をしました。
勉強では算数。スポーツではサッカー
これに全力投球する。ということ。
「さ」のつくもの同士だな、なんてよく分からない駄洒落を交えられながら、この勉強面とスポーツ面で自分ががんばる事を決めました。
サッカーは、小学生時代が一番うまかった^^;
小4の時に唯一学校の代表として、5,6年生の中に混じって、地域のサッカー大会に出場。でも、レギュラーにはなれなかったけど^^;
小5になってからは、キャプテンとして背番号11を背負う。
ただ、成長痛という病気になってしまい、中学生という大事な時期サッカーができなく、高校ではサッカー部に入ったが、結局Aチームに入ったものの、レギュラーにはなれなかった。
ちょっと話がそれましたが、そんなこんなでサッカーを通して、スポーツをがんばりました。
算数も得意教科として、がんばりました。ただ、中学、高校と進むにつれて、言葉の大切さ、言葉の奥深さに引かれて、言語の勉強を志すようになりました。
まぁさておき、
「今の自分に全力投球」
今に全力投球できないのに、未来なんて語れない。
こんな事を、父親から教わりました。
死生観を持つ。
ということは、明日死ぬかもしれないという覚悟を持つこと。
明日死ぬと思ったら、きっと今という一瞬に全力投球して今日を生き抜く。
だから、「今に全力投球」と「死生観」という言葉がシンクロしたのだと思います。
田坂先生のネットラジオを聴いています。
田坂先生自身、生と死に直面する体験をされています。だから、彼の語る、
一期一会
という言葉、
死生観
という言葉、
過去は無い、
未来も無い、
あるのは、ただただ永遠に続く今という一瞬だけ。
という言葉が、深く胸に響くのだと思いました。
だから、
今を生き切る
ということを行じる事ができるのだと思います。
私には、生と死に直面する体験は無いです。だから、そのような経験をされた方ほど、今を生き切るということに対しての迫力をもてないかもしれない。
しかし、いずれ死ぬという気持ちを持って、
あと最大20000日という人生を受け止めて、
真剣に自分の人生を生きたい。
そのように、思います。