カンボジアの孤児の現実について知る機会がありました。両親をエイズで無くし、その日をなんとか生きるために、ごみの山で一日中働く子供たち。熱と異臭の中一日中働いて稼げるお金は50円~200円だそうです。
彼らの目は死んでいます。そこに「夢」とか「希望」という言葉はありません。2010年にはカンボジアの孤児は14万人になるそうです。そんな彼らを救う覚悟を持った日本人がいます。
?
彼らは孤児院でカンボジアの孤児を預ります。その孤児院では80人の孤児しか受け入れる事ができません。焼け石に水と言われるかもしれない。しかし、焼け石に水でもその積み重ねが大切なのだと彼らは諦めずに取り組みます。
彼らに夢や希望を持ってもらうために、自らの人生をかけます。もう応援ではありません。彼らの人生を請け負う伴走者です。
?
相当の覚悟と意思が無ければこの仕事はできないなと思いました。
?
彼らの仕事を見た時に、自分の夢は綺麗ごとではないかと思ってしまいました。
?
私は、日本の子供に相手の事を考えられる人になってもらいたいとか、日本に情熱を持ったビジネスマンを増やしたいという思いで、仕事をしています。これをライフワークだと思っています。
?
自分の力はこの分野で最大限の力を発揮できると思っています。そう思った時、彼らと同じ本気度で、同じ覚悟で仕事をする事によって、自分のやる事は綺麗ごとではなくなると思いました。
?
彼らが14万人の孤児に伴走するのであれば、私は20万30万と言われる、夢を持たずに生きてしまっている人に関わりたいと思います。
?
日本人は恵まれています。恵まれている人は弱き者を助ける義務があります。これをノブレス・オブリージュといいます。しかし、この恵まれた環境を日本人は活かしきれていません。
?
この恵まれた環境にもまだ満足していません。
?
一生懸命生きていません。
?
他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいと考えてしまう子供
?
ちょっとした、悩みや壁で自分は世界で一番不幸だと考えてしまう子供、
?
カンボジアの孤児に比べたらどれだけ幸せか。
?
私達は、この恵まれた環境をいかして、勉強をしそこで得た力を他人のために使う必要があります。
?
仕事が、誰かのために貢献をするという事であるという前提であるならば、私はこの恵まれた環境で得た力を他人のために使いたいと思います。
?
私が、ライフワークと考える教育で、より他人のことを考えられる人間を育て、その子たちが弱き者のために自分の力を発揮するようになる。
?
その意味において、私はカンボジアの孤児たちを応援したいと思いました。