我々が人生の意味を問うて生きるのではない。 人生が我々に、その意味を問いかけてきているのである。 深い。
何で自分は生まれてきたのだろう?何のために生きるのだろう?ということは誰でも考えること。
だけど、その問いを持つこと自体が違うのかもしれません。なぜなら、僕たちは、少なくとも日本人である僕たちは、幸せな事に生きたいように生きれるからです。
明日生きるか死ぬかも分からない極限の中で生活しているわけでもなく、明日食べるものに困ることも無く、生きることができる。
世の中には、なぜ自分は生きているのだろう?と考える暇も無く、明日生きるための食料を確保するために死に物狂いになっている人もいるわけです。
自分の人生を自分で設定できる権利があることはとても幸せなことだと思います。
だからこそ、人生が私たちに問いかけてくるのでしょう。
お前のその人生の意味は何か?
与えられた命を、どう使うのか?
と。
自分の人生が有限であり、死が必ず訪れるもの、その死がいつくるか分からないものと見つめた時に、ひと時ひと時が本当にいとおしく思えます。
そして、この与えられた人生、この命をどう使うかと真剣に向き合うことができるようになるのだと思います。
だらだらとすごすこともできる。
ひとつのことに打ち込むこともできる。
誰かのために働き続けることもできる。
命の使い方をどう自分が定めるのか。
このことが、自分の人生論を、自分の生き様を決めることであり、そのことを考えるところから、使命感へと昇華していくのだと思います。
死に際に、この人生充実したものだったと思って死にたい。
そのために、後悔の無い命の使い方をしていきたいものです。