渋谷で店長をしていた時のこと。
渋谷の店は殺人的に忙しかった。 それもそのはず。センター街の真横の通り、黙っていても人がたくさん行き交う。
その店で一緒に働いた副店長は、よく遅刻をした。 一人いないだけで店の準備や営業が滞ってしまう。 1,2度ならまだしも、何度も繰り返すので私の怒りも頂点だった。
たまたま、その日にA部長が店に来ていた。 部長が来ようが、部下を叱りつける姿を見せようという 今考えれば浅はかな思いだったのだが、遅刻してきた副店長を怒鳴り散らした。 かつ、論理的に理路整然と副店長を詰めた。。。
副店長は、泣きそうになりながら謝り、キッチンのスタンバイに戻っていった。
その姿をみたA部長が私の所にやってきた。 私は、ちゃんと叱ったのだという気持ちでいた。
しかし、A部長はこう私にいった。
『小泉、お前の言っていることは、まったく間違えていない。 正しいことを言っているよ。 でもな、それで副店長の現実は変わるのか? 二度と遅刻してこなくなるのか?
いや、そんなことよりこれから仕事をする。今日一日が始まる。 あいつは、今日一日笑顔で働けるか?お客様に優しく対応できるのか? このタイミングでのあの叱り方は、相手に寄り添ったものなのか?それを考えなさい』
感情的に怒って現実が変わるならば、いくらでも怒ればいい。 でも、それだけでは何も変わらない。
寄り添うとは、相手の真実を見てあげること。 相手の真実を認め、そこに上司としてお預かりした責任を持ち、 一緒に良い方向へと歩むこと。
A部長から、教わった、『寄り添い』という意味。 今も忘れられないエピソードの一つ。