選挙に行ってきました。まもなく投票期限ですね。
その方に投票したか、しなかったかは別として、今回は元上司が出馬をされていて、ネットでその行動を見ていました。
巷ではブラックと言われ、確かに不幸な事が起こった事も事実。その事は事実であり、その当事者の方への敬意はもちろんあるという前提で言いたいのだが、私も約7年間働いてきた当事者でもあるため、その当事者一人ひとりに事実という以上に、真実がある。その人だけの真実がある。
だからこそ思うが、ブラックと言うのは、本質的にはセクハラと一緒ではないだろうか。その人がセクハラだと思えばセクハラだし、ブラックだと思えばブラック。それを決めるのは、そこでの現実をすごし、そこでの真実を持つ者だけが語りうることではないかなと思ったりする。
『誰にとってもいい会社ではない。』彼は採用説明会の時、入社式の時でも言っていた。ただ労働時間が長いだけのアルバイトになるなともよく言われた。社員になる以上、時間とお金を交換するな。自分の大切な時間を切り売りするな。
自分の命は3万日。君たちは1円玉を3万枚持っていて、毎日、毎日1円ずつかけている。だけど、一枚だけ金の一円玉があって、その一円玉を引いてしまうと、全ての一円玉が支払われてしまう。つまり、人生の終わりがやってくる。
かけた一円玉を一円以上の一日にするのかしないのかは、その人の姿勢次第。そう思えばこそ、大切な一日をお金でなんか換算するな。そう教えられた。この話しをねじ曲げられると、お金は払わない、残業はいくらでもしろとなる。
その人の解釈力の差で、必ず終りが来る、一度しか無い、そしていつ終わりがくるか分からない人生の使い方が決まってしまう。
私はそもそも外食には興味が無かったが、根底に流れる死生観、人生観、使命感に共感し、あの会社で7年間修行をさせて頂いた。
そして、卒業生としてもなお、その会社を背負っていると思っている。あの会社で働いてた人は大したことないなと思われるのか、やはりあの会社で働いていた方は世の中に価値を生み出し続けていると思われるかは自分の生きざま次第だと思っている。
私の恩返しとしては、あの会社の卒業生は卒業後も世の中で活躍するんだねと思われる価値を生み続けること。その意味で、あの会社を背負うプライドを持っている。
彼が当選するかしないかは特に問題とは思わない。政治の世界でなくても、事業を通して世の中に貢献していくだけの力はお有りだろうから。
しかし、これも常々教えられていた『存在対効果』という視点。自分という人間をどの環境に置くことが、最も世の中に対して価値を発揮する事ができるのか?その問いを問い続け、それが政治の世界と直感されているのであれば、是非是非政治の世界で存在対効果を最大限に発揮してもらいたい。
私も、自身の『存在対効果』に拘ってる。今のこの場所は自分にとって一番価値を発揮できていると自信を持って言えるのか?それとも、居心地がよくなってしまっていないか?
『日常化した毎日が居心地よくなった時こそ、違ったことをするように自らを駆り立てる必要がある』
とは、ドラッカーの言葉であり、『存在対効果』に通ずる言葉であり、私の座右の銘である。
この数週間、元上司の姿を見ながら、『存在対効果を最大限にできる場所』という言葉がずっと頭をかけめぐっていました。そして、それ以外にもいろいろな大切な事を思い出しました。
ありがとうございました。