3名の人に同じことを言われたら、メッセージとして受け取る。 西田幾多郎の善の研究を、薦められ手に取った。
『純粋経験』という考え方。なかなか難しいが、一言で言えば、 主客未分。 あなたと私を区別しない。 以前、 『天地一切のものと和解する。』 という事を教わり、とても感銘を受けた。 そのことに通ずるのではないかと思う。 私が『志』という言葉に惹かれるのは、まさにこの 主客未分という考え方からだ。 自我ではなく、大我。 『私』とは、単に個の私ではなく、 『私達』という言葉に近い。 己一代で何かを成し遂げようとする野心ではなく、 己一代だけでは叶わないような大きな夢に向かって 力を合わせて達成していく志。 志は、一人で抱くものではなく、 仲間と共に抱くもの。 仲間は、空間を超える。 仲間は、時間を超える。 そして、 仲間は、自我を超える。 だから、僕は全ての人に対して、 わけ隔てない。という感情を持ちたいと 修行をしている。 クールだね。感情が表に出ないね。 とよく言っていただくが、おそらくそれは、 わけ隔てないからではないか?と思いだした。 僕も怒るし、笑うし、泣く。 しかし、それは自分の思い通りにならなかった時ではない。 相手に感情が重なった時の方が圧倒的に多い。 『相手の悲しみや喜びを共有する。』 渡邉美樹に教わった事だ。 そして、ワタミ時代一番好きだった言葉だ。 西洋の要素還元主義。一神教の思想。スチュワードシップ。これらは、主客を分離することが前提だ。そして、それらのおかげで科学はとてつもなく発達してきた。 しかし、その限界も見えた。 世の中は螺旋的に発展する。 赤ちゃんは、最初主客未分の状態で生まれてくる。 分別がつく、つまり、自分と他を分けることを通して 成長する。大人になる。 そして、死ぬ時はまた主客未分の状態となって人生を終わる。 世の中の始まりも、主客未分の状態からスタートした。 しかし、主客分離を通じて発展してきた。 私とあなたを切り分けて、 所有という概念が生まれた。 所有を自分のものとするために、争いが生まれ、 国家同士が戦争を巻き起こした。 人種、肌の色、言語、住む地域。これらの分別をつけて 分離して理解をしてきた。 しかし、その時代も終わりを告げて、未分の時代へと 歩んでいるのかもしれない。 未分から分離そしてまた未分へ。 元の場所に戻るが、一段進化して戻る。 螺旋階段を上るように。 今、僕たちはその螺旋階段を分離から未分へ向けて 一歩ずつ、歩んでいる段階なのかもしれない。