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世界が分かる宗教学入門~つぶやき~

21:38 世界が分かる宗教社会学入門~橋爪大三郎 #

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)/橋爪 大三郎
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21:39 自分の知ることのできない事を知ろうとすること。これが、知性の知性たるゆえんである。 #

21:41 人間は誰もが、自分は死ぬと知っている。知っていながら、それでも生きている。これは、知性をもつ生物なら、かならずそうあるあり方である。 #

21:42 もしも人間が死なないで永遠に生き続けるのなら、他人に構わず自分のことだけを考える、まったくのエゴイストになることもできよう。 #

21:44 けれども人間は、やがて死ぬ、ひ弱な存在である。互いをいたわり助けあることなしに、生きていけない。知性があるから、人間はこのことをよく理解できる。社会は、弱肉強食の自然状態ではない。人間が、互いに大事にしあう、秩序ある交流の空間である。 #

21:47 社会は、このように組織されるものなので、その内部は価値(大事なこと)や意味(そのわけ)で満ちている。そうした価値や意味は、人々が共同で支えている。あなたが生まれる前から、そした価値や意味はもう存在していた。 #

21:49 あなたが死んだあとでも、もっと後の世代の 人々によって受け継がれていく。そうした価値や意味なしには、この世界も知性も成り立たない。そして、知性が滅んだたとでも、その舞台であるこの世界は続いていく。 #

21:49 あなたは、有限でひ弱で小さな知性として、この世界の真ん中にポツンと取り残されているように感じる。 #

21:50 あなたは、あながたこうしてポツンと存在することに、いったいどんな価値や意味があるのか、なおも考えようとする。 #

21:57 社会を満たしている価値や意味は、私やあなたや、個々の知性が自分で考えつたものではない。知性が活動し始めた時には、もうそこにあった。なぜそこにあったのか。それは、自分ひとりの知性の働きでは説明がつかない。 #

21:58 それは、ほかにも知性がたくさん存在している(いた)ということなのかもしれないが、その始まりまでは考えきれない。 #

21:59 考えきれない事を、さらに考えようとする。それには、工夫が必要である。 #

21:59 たとえば、この世界が、ある偉大な知性の手で設計され、製造されたと考えてみる。 #

22:00 それなら、世界が価値にあふれ、意味に満たされているのは当然である。そして、世界は製造されたのだから、始まりがあり、終りがある。それを製造した知性は、世界の外側にあるのだから、始まりも終りもない。 #

22:01 この偉大な知性を、神(God)と呼ぶことにする。すると、一神教の世界である。 #

22:03 人間は、神に製造された被造物である。人間は、何のために生まれたのか。人間は死んだらどうなるのか。そういったことを知りたければ、神が何を考えているかを知ればよい。 #

22:04 神が何を考 えているかは、神の声を聞いた人(預言者)の話を聞けばよい。預言者の話は、『聖典バイブルやコーランにまとめられているから、それを読めばよい。 #

22:05 このように、偉大な知性の考えを理解できる人間の知性も、それなりに偉大であると言えないだろうか。こう考えて、人間は知性の誇りを手にする。 #

22:06 またたとえば、この世界が、永劫の昔から究極の法則に従って運動していると考えてみる。 #

22:06 すると、この世界には、始まりも終りもない。世界も人間も、変化していくように見えるが、?® ?は変化していない。究極の法則は変化しないからである。 #

22:07 変化していくものは、現象である。 #

22:07 価値も意味も、人間の生命も、変化していく。だから現象に過ぎないのだ、と理解すべきである。 #

22:08 究極の法則を理解することが、人間の知性の最高のあり方である。そんな知性のあり方は、人間の生死を超越して、究極の法則と一体化している。 #

22:09 この究極の法則を、法(ダルマ)とよんでみる。また、最高の知性を、 仏(ブッダ)と読んでみる。すると、仏教の世界である。 #

22:11 人間は誰でも、知性を持っている。それを最高のあり方に導きさえすれば、誰でも仏(ブッダになれる。究極の法(ダルマ)がどのようなものであるかは、仏(ブッダ)の言葉をまとめた経典に書いてある。#

22:13 またたとえば、この世界は、過去を単に再生産しているのだと考えてみる。過去を忠実にたどることが、人間にとっての最高のあり方である。知性は、過去がどのようであったかを、よりよく理解しなければならない。 #

22:14 この世界を成り立たせている価値も、意味も、過去の世界によって支えられているからである。過去の世界の価値や意味は、過去の理想的な知性によって運用されていた。 #

22:16 この知性を、聖人とよんでみる。すると、儒教の世界である。聖人がどのように、この世界の価値や意味を運用していたかは、四書五経に書いてある。それを読んで、読みぬいて、自分も聖人と同じように行動する。それが、望ましい知性の在り方である。 #

22:17 そして、現在の世界の価値や意味をそのまま次の世代に伝達することが、人間のつとめである。#

22:17 これらは、知性を持って生まれた人間が、考えられることの限界に挑戦する、いくつかの試みであり、工夫である。 #

22:19 人類の歴史をひもといてみると、知性が限界を超え、考えられない事を考えようと苦闘してきた歴史でもあることに気づく。 #

22:20 そのような苦闘なしに、人間は、自分の存在理由を確かめる事が出来なかった。そして、価値にあふれ、意味に満たされているこの世界が、そのようであってよいのだという確信を持つことができなかった。誇りある知性として、自分を肯定することができなかった。 #

22:21 宗教は、このような試みである。そして、文明の原動力である。 #

22:23 文明とは、自然と人間を切り離し、自然に手を加え、農地を耕し、年を建設することを言う。 #

22:23 人々は自然から切り離され、都市に集まり、人工的な環境の中で、この世界の過去と行く末を考えていた。 #

22:25 それ以前の人々は、自然と共生し、自然に包容されて生きていた。世界と自然とは、区別されなかった。自然の背後に知性(霊)が宿っていると考えれば、それなりに安定した。 #

22:25 自然が、知性を超えた、考えられないものだったのである。 #

22:25 日本人は、こうした側面をつい最近まで残していた。 #

22:28 理解する。というのは、分ける事で初めて、分かる事なのだろう。私とあなたを区別することで、私というものを相対的に理解するのだろう。 #

22:29 分けて、分けて、分けても分けきれない部分がある。説明しきれない部分がある。分けることでかえって分からなくなることもある。しかし、何とか理解したか った。それが、知性の知性たるゆえんだか

ら。 #

22:30 死んだらどうなるのか?なぜ生きているのか?世界はどのように始まったのか?考えても考えても答えの出ない問い。 #

22:34 だから、ある者は絶対的な創造主を思い描いた。ある者は、究極で普遍の法則があると考えた。ある者は、過去のうまくいった方法を辿り続けることが答えだと考えた。 #

22:36 最先端の宇宙論は、宇宙の始まりは「真空」であった。と言っている。真空がある時揺らいで、大爆発を起こし光に包まれて宇宙が生まれた。 #

22:37 では、真空はなぜゆらいだのか?真空の前には何があったのか?問うても問うても答えの出ない問いがあらわれてくる。 #

22:38 分けることをやめる。無境界をよしとする。この姿勢も実は大切なのではなかろうか。 #

22:40 無境界から始まって、境界を引きつづけ、そして無境界へと帰る。螺旋的な法則が見えるような気がする。 #