最近、発展途上国に学校を作ろう
と、言って寄付を募り、学校を実際に建設する。
という社会貢献のシーンをよく見ます。
では、この学校がたった後は、
この支援をした方々はどう関わるのでしょう?
建てたら、後の運営はよろしくね。
そのようなスタンスもあるでしょう。
建てないより、建てる活動を起こした
事のほうが立派です。
ただ、これは有限責任という範囲なのだと
思います。
学校を建てるという所において責任を負いますよ。
という、自分の責任の範囲が明確化されています。
本当に責任を負うという事はどういうことか。
無限責任を負うという事にほかなりません。
もし、その子たちの将来まで面倒を見ると決めたなら?
その子たちが、学校で勉強をして、
自立して自分の力で生きていくところまで、面倒を見るとしたら?
そこには、相当の覚悟が必要でしょうし、
責任の幅は無限に広がっていきます。
無限責任を負う覚悟を持ち、生きていったとしても、
無限責任を負えば負うほど、一つの壁にぶつかります。
責任は、一人では負いきれない。
この壁にぶつかります。
だからこそ、その覚悟を持った仲間が必要になっていきます。
そして、その覚悟は、
「祈り」
となって、次世代に紡がれていきます。
その祈りこそが、志の本質なのでしょう。