最近よくこの言葉を目にします。 「補助線」 補助線とは、幾何学の問題で、答えを出す為にその線を引くと一気に答えが明確になる線です。 補助線は答えを出す為の助けです。 補助線は答えを出せば、回答には関係の無い線ですので消しゴムで消されます。 補助線はあくまでも「補助」であり、「主人公」ではありません。 このような生き方に深く共感をします。 自分の人生を振り返る時、人の支えになることが喜びでした。塾講師をしたり、サッカーのコーチをしたり、後輩指導に明け暮れたり、自分の時間を惜しみなく誰かの為に使うことで、彼らが成長してくれることが何よりもの報いでした。 もちろん、そのような彼らと関らせていただく中で自分自身も成長させていただきました。 今自分が語りかける言葉が響かなくてもいい、数年後ふと自分が語った言葉を思い出してくれたらそれが幸せだ。という事をよく思っていました。 自分の言葉が彼らの補助線となり、答えではなく、答えを出す為の道標となるならば、こんなに嬉しい事は無いなと思います。 補助線は、あくまで補助、主人公ではないがしかし、確かな道標。明確な答えを自分で出す事ができたならまた、消えてしまって構わない。 自分の生き方は、まさにこの生き方だと思います。私の事業も、補助線であったなと思います。お店と応募者の関係をつなぐ線。 そして、お店と応募者に関係が出来上がったら消える線。 そこにやりがいを感じることができたのは、自分の生き方の根本とあっていたからなのかもしれないと思いました。 Not solution , But suggestion 「解決策ではなく、提案を」これが自分のポリシーです。 Give a man a fish, he’ll eat for a day. Teach a man to fish , he’ll eat forever. 「彼に魚をあげれば、一日食べられるが、魚の取り方を教えれば自分の力で食べ続ける事ができる」 私が好きな海外青年協力隊の精神です。 ある事象から、自分を「捨てる」のではなく、自分という「我が無くなる」事、ここに真実があるのではないかと思います。 今後も私の人生の中で思い続けるでしょう。 「私は、あなたの補助線となりたい。」