昔、幼稚園を訪問したとき、 そこで耳にした、無邪気な会話を思い出します。 先生が、園児の一人、オサム君を誉めました。 オサム君は、本当に、良い子ね。 そのとき、嬉しそうなオサム君の横にいた ノリコちゃんが、悲しそうに、聞きました。 じゃあ、ノリコは、悪い子なの。 この無邪気な会話を思い出すとき、 「言葉」というものの本質に、そして、その怖さに 気がつきます。 「世界の分節化」 「言葉」は、それを語った瞬間に、 本来一つであった世界に「境界」を持ち込み、 その世界を二つに「分節化」してしまうのです。 そして、我々の心は、いつも、 その「境界」において、 葛藤を生み出し、苦しみを味わうのです。 では、なぜ、我々に「言葉」が与えられたのか。 そのことを考えるとき、我々は、 人間の心の成長の 不思議なプロセスに気づくのかもしれません。
【感想】
私が生涯かけて行いたい事は、
「青空」という「言葉」を伝えることです。
言葉は、物事を捉えやすくするために人間が考えた 道具です。
しかし、言葉は100%その事象を表すことが出来ません。
「青空」と私が発した時に、
私と同じ青空をイメージできる人はいません。
雲ひとつ無い青空なのか?
青の色合いはどうか?
どの土地から見えるものか?
これらを100%私と同じイメージを出来る人はいません。
それが、言葉の限界です。
ある事象から、それらを言葉を使って取り出した時に、 捉えられないものがあります。
しかし、ではそれを語れない事をあきらめてしまうのか?
それは違います。
言葉しか私達には物事を伝える道具はありません。
その言葉の限界を受け止めて尚、自分の思いを100%伝えようと 努力する中に、葛藤や苦しみがあり、
成長があるのだと思います。
そして、100%の気持ちが相手に伝わった時に、
その言葉は、
「その人の言葉、その人なりの言葉」
と定義付けられるのだと思っています。
自分の言葉を持つ。
自分の言葉で語る。
生涯大切にしていきたい事です。
ありがとうございました。