「割りきりとは、魂の弱さである。」
とは、亀井勝一郎の言葉。
このことは、とてもよく分かります。
自分は、自分が成長する時ってどんな時だろう?と考えた時に、
徹底的に反省する時。
だと思っています。
しかも、その反省は、
答えなき問いであります。
僕は、新店を開けた時に自分の未熟さから、あるメンバーを無断退社という形で無くしました。
その時、自分のあう人間とだけ働いて、あわない人間とは働かなければいい。
あいつは、あわなかっただけだ。
と、割り切ってしまったのであればどんなにか心は楽か。
その事を心の奥にねじ伏せて、あう人間とだけ仕事をする事は確かに楽な事。
でも、それでは成長は無い。
割り切りは心の弱さ。
すごくよく分かる。
このとき、どうしてそんなことが起こったのか?
もっと何かしてやれなかったのか?
そのような問いを徹底的に自分に問い続ける。
彼にはもう会えないから、どうやったら許してくれるのかなんて分からない。
だからこそ、この問いには答えは出せない。こうかも知れないという解がいくつもいくつも浮かぶだけで、それが
正しいとは言えない。
苦しい。
この問いを問い続けるのはとても苦しい。
だけど、この中でしか自分は成長できないと思う。
彼に心の中で約束する事。
彼に謝ることはできないし、彼が自分の未熟さゆえに受けた不快感を晴らす事はできない。
だから、二度と同じ状況は起こさせないということを彼に誓うより他はない。
これはものすごく苦しい。
ただ、気をつけなくてはいけないのは、二度と同じ事はしないと思うのは簡単だという事。
あう人間とだけ仕事をするという選択
ちゃんと反省し二度と同じことをしないようにしようという選択。
ということを単に選ぶのではなく、
どんな心境でその事実を受け止めるその後の自分の身の処し方を選ぶか。
そこに、人を大いに成長させるものがあると思う。
割り切るのではなく、葛藤の中で答えを出す。答えを出した所で決して楽になっているわけではない。
そんな中で人は成長をしていくのだと思います。