強きものの弱きものに対する義務
この言葉に出会ったのは、今から8年前。
自分が就職活動をしているときでした。
当時、自分が新卒社員として入社した会社にの案内パンフレットでその言葉を発見し、とても心惹かれました。
そして、転職し今の会社でも社長が何かの折でこの言葉を発していました。
そして、今最も尊敬する田坂先生もこの言葉を使われます。
ふと、思いました。
なぜ、自分はノブレス・オブリージュという言葉に反応するのだろう?
その原点はどこか?
人にはそれぞれ判断基準があります。
嬉しい、悲しい、
幸せ、不幸せ、
感動する、感動しない。
これらが人によってその程度が違うのはなぜか?
そもそも判断基準が発生するのはなぜか?
それは、価値観が違うからです。
Aさんにとって幸せな事は、Bさんにとっては別に平凡な事。
その価値観はどうやって生まれるか?
それは、過去の経験からでしかない。
過去の経験が自分の血肉となりその後の価値判断基準、行動基準となります。
であれば、このノブレス・オブリージュという言葉に惹かれるのは、そういう過去の経験があるからだろうと思いました。
ずうぅっと考えていて、たどり着きました。
「男とは、強さとやさしさ」
この言葉でした。
この言葉は、父親から幼少の頃からずっと言われ続けてきた言葉です。
男は心も体も強くなければならない。
男は、弱いものに対してやさしくなければならない。
ずっと、ずっと、言われてきました。
僕には、歳の離れた妹が2人います。7歳と11歳離れています。
妹が生まれたとき、僕は幼心に嫉妬しました。
今まで自分が親戚の中でも一番下で、一番可愛がられていた。
その注目が一気に妹に集まった。
だから、嫉妬しました。
そして、妹をいじめるようになりました。
そして、父親から何度も怒られました。
もっと、妹にやさしくしなさい。
女の子にやさしくしなさい。
でも、主役の座を奪われた僕は、なかなかその事を受け入れられなかった。
徐々に自分の心も大人になって、そんなこと嫉妬するもんじゃないという心の成熟ももちろん
あっただろうが、一番のきっかけは引越しや父親の単身赴任かもしれない。
引越して、友達と別れたくないと泣きじゃくる妹を見て、自分も小さい時に何度も引越して
友達と分かれる寂しさを知っていたから、妹に共感しました。
やさしくしなきゃ。味方にならなきゃ。
そんな風に思った記憶があります。
中学生になり、父親が単身赴任することになりました。 もうその頃はさすがに妹に対する嫉妬なんて無かったです^^;
「お前に、かあちゃんと妹まかせるからな。」
その一言がやけに重かったことを覚えています。
自分が父親代わりとなって、妹達を大切にしなきゃいけない。
弱きものへの義務。
父親代わりとしての役割。
そんな事を感じていました。
何かの折で、男とは強さとやさしさ。
という言葉を思い出しました。
こんな経験ずっと忘れていましたが、
ノブレス・オブリージュという言葉に惹かれる理由を考えていたら、幼かったときの 未熟な考え方、父親の教えを深く思い出しました。
強きものは弱きものに対して責任がある。
根本に流れる僕の思想なんだと思います。
父親から受け継いだ、大切な志。
自分も、自分の子供、自分の後続の方々に伝えていきたい大切な志です。