この二つの本を読み共通する考え方を得ました。
孫子・戦略・クラウゼヴィッツを読み、デジタルな世界とアナログな世界というものの見方を学びました。
デジタル = 論理的・合理的であり、定量化できるもの。
アナログ = 経験、感性、直感などの第六感的要素のもの。
つまり、仕事というものを捉えた時に、誰でもそのやり方をやれば、一定の成果が出るという領域をデジタル領域と捉え、
デジタル領域では計れない部分をアナログ領域と捉えたいと思います。
例えば、どんな店長でも30名までのメンバーであれば見ることができる。というのは、デジタルな世界でしょう。
しかし、50名、60名を受け持てる店長もいます。30名を越えても同じようにメンバーを見ることができ成果を出せるのは、デジタルな世界からはみ出てその人の経験から磨かれた、その人にしかできない領域なのでしょう。
ウェブ進化論では、棋士の羽生さんが、インターネットの世界を高速道路の向こうは大渋滞という表現をしています。
インターネットの進化によって、様々な機会が一般の人にも簡単に開けました。将棋の勉強もインターネットで簡単にできるし、対戦相手もネット上で様々な人とできる。だから、簡単にある一定レベルの棋士になれてしまう時代になりました。
しかし、そのある一定のレベル以降はそう簡単に進めないのです。つまり、そこで渋滞が始まります。
高速道路の開けている道がデジタルな世界。
渋滞している所はアナログな世界。
渋滞を抜けるにはやはり、場数、感性、直感。人よりも間違える判断を少なくする。といった要素が必要になるのでしょう。
話はちょっとそれますが、
事業を組み立てる時は、まずデジタルな部分で事業を組み立てないといけないはずです。
いきなり、アナログな領域の力を持つ者が働くという前提で事業を組むと、その人がいなくなった瞬間立ち居かなくなるのでしょう。
まずは、デジタル領域でも十分成果を出せる体制を組み、プラスアルファで感性を磨く取り組み行い、アナログな力を発揮できる人材を育てて、そこから更なる成果を出していくという道筋を立てていく事が大切なのだと思います。
外部に対する約束は、デジタルな部分で、内部目標はアナログな領域を含めて、これがよいのだと思います。
そして、教育体制が進めば進むほど、ノウハウが溜まれば溜まるほど、今はアナログな領域だなと捉えられている部分が、デジタルな領域に含まれて行くという進化をしていく。
すると、教育体制というのは、アナログな部分をいかにデジタルな領域に引っ張れるかが大切なのだろうと思います。
そして、感性という部分を磨くというのは結構難しいとおもうので、これをノウハウ化できれば、競争優位の源泉になるのではなかろうかと思います。
ウェブ進化時代というのは、地球人類の知識レベルの底辺が上がるかもしれませんが、結局それ以上は努力をし、アナログな世界を進まねばならず、アナログな部分というのは、やはり自分の好きな事、極めたいと純粋に思えることをやる。という事は、どんなに時代が変わっても、変わらぬ真理なのだと思います。