|-【仕事論】

達成の思想から感謝の思想へ~修士論文を書き上げて~

昨日、2年間の集大成である特定課題研究論文(修士論文)を提出しました。
提出の前夜、最後の校正を終わらせ、謝辞を書いていたときになんとも言えない感情になりました。

我が師が以前講義の中で、
「なぜ、著書を出し続けるのか」
という問いに対して、正確な表現ではありませんがこのように答えていました。

「謝辞で、すでに他界した父と母に感謝の意を表す。
この一行を書くために、著書を出し続けている。」
と。その意味が、少し分かった気がします。

謝辞を書きながら、私の中に込み上げた感情は、達成感というよりも感謝でした。
私の二年間は、修士論文のこの謝辞の中で私に関わるすべての方に感謝の一行を述べる。
そのためにあったのではなかったか。

指導して下さった教授
切磋琢磨し合った同志
理解をしてくれた社員
火をつけてくれた妹達
応援をしてくれた両親
支えてくれた大切な人
このどの存在が欠けても、この2年間は過ごせなかったのではなかったか。

決して、自分一人の力で書き上げた論文ではない。
自分に関わる方々のおかげでこの論文が完成した。
素直にそう思えたら、目頭が熱くなってしまいました。

30歳の誕生日に掲げた目標。
達成感から感謝へ。
第九十六話 達成感から感謝へ
もう、目標を掲げ続けて、それをクリアして達成感に浸って、
それをモチベーションに進んでいく時代は終わりだ。

達成感を味わいたいというのは、自分の欠乏感を満たす行為に他ならない。
そして、欠乏感は満たせば満たすほど、大きくなる。目標は超える事が目的になってしまうと、常に強迫観念に襲われる。

しかし、感謝は違う。
感謝は泉のように湧き出るもの。

その事に関わらせてもらう事自体に喜びを感じ、
だからこそもっとよくしたいとの力が湧いてくる。
そのような事を目標として書いていた。

謝辞の一行を書いたとき、自分の中に込み上げたのは感謝であった。
少し成長できたかな?と思えた。

今回の修士論文は特定課題研究という形で、本業ど真ん中のトピックスに関してであるので、
一般理論化は難しいかもしれないが、自分の中にある「信」の部分であるので、
本業を通じて今後も進化させていきたい内容である。

最後に、我が師が、両親への思いにおいて、
野中ともよさんとの対談の中でこのような事もおっしゃっていた。

一人の人間の人生、その生きたことの意味は何によって定まるか
一般的には、その人物の棺を閉じるときに定まると言われている。

ただ、私の思想は少し違う。

一人の人間の生きたことの意味、その価値は、
その人間が育てた人物の棺を閉じるときに定まる。

両親が生きた事のその意味は、両親が思いを込めて育ててくれた、
一人の人間がどのような人生を歩んだかそれが両親の生きた事の意味を定める。

「感謝の思想で生きる」とは、まさにこの事なのだろう。


2011-07-17 | Posted in |-【仕事論】No Comments » 
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