|-【仕事論】

当事者性が問われる時代

佐々木俊尚さんの今週のメルマガを読んでいて色々と考えていた。
今回のテーマは
『震災でわかったソーシャルメディアのパワー(中編)』
佐々木俊尚さんのオフィシャルサイト
マスメディアの報道には、当事者性がなく傍観者としての取材という色が強く、
現在のようなソーシャルメディアの普及しつつある環境においては、
ますます、その報道が心に響かないものとなっているとのこと。
メルマガでも書かれていましたが、確かに私たちが感銘を受けていたのは、
被災者の方が撮影した映像がYoutubeにアップされたものや、
現地に入ったボランティアや看護師や医師や自衛隊員たちのブログやTwitterでした。
まさに、当事者としての発信がより私たちの心に響いたのです。
ソーシャルメディア時代の情報収集は、
検索エンジン時代の情報収集と根本的に違います。
グーグルの理念を知っていますか?
『世界中の情報を整理しつくす』です。
一方、facebookは、
『各個人が共有し繋がるための大きな力を提供する』です。
私は、検索エンジンによる情報収集は『静の情報収集』
ソーシャルメディアによる情報収集は『動の情報収集』
と捉えています。
今までは、整理された情報、それこそ権威やマスの提供する情報を
拾ってくるというものでした。
しかし、ソーシャルメディアは、自分と境遇や価値観の似た人と繋がって、
そこから、今、まさにそこで生まれている情報を拾ってきます。
しかも、そこにはコミュニケーションがあるので、情報自体が日々進化していきます。
例えば、ミシュランガイドを見て外食の場所を決めていたのが、
食べログで自分と嗜好の合う人をフォローして外食の場所を決めるようになる。
カリスマの美容師の進めるコスメよりも、
自分と年齢や肌質や悩みが同じ人が使っている化粧品を使う。
等、権威マスによって整理された情報から、
今、そこで生まれている情報へという変化が起こっています。
まさに、ソーシャルメディアの本質は、『当事者性』なのだなということが分かってきます。
私自身、『自分の言葉、自分なりの言葉』を語れる人になりたい
と願って、修行を続けています。
同じ言葉を語るのに、説得力のある人とない人がいる。
その違いは何か?
それは、その言葉が
『経験に裏打ちされた体験として語らているか』
だと思っています。
まさに、『当事者性』です。
誰もが非難しようのない美しい言葉を語っても伝わらず、
自分の体験をベースとした、自分の言葉を語る力が
今後のソーシャルメディアの時代に必要となる力なのでしょう。
そして、ここで、『当事者性』という言葉が使われているのも
一つポイントかなと思っています。
当事者に勝るものはないですが、
当事者に近い形で語ることができること。
その事に必要なのはやはり、共感する力なのでしょう。
我が師曰く、共感とは、同情や憐憫とは違う。
『あの人の姿は、私の姿では無かったか』
という視線で物事を見ることが出来る力です。
私は、それを『その人の中の真実を見る力』と捉えています。
例えば部下が無断で遅刻をした時。
頭ごなしに、『無断で遅刻するバカがいるか!』
と叱った所で、その部下の中の真実が見えていない。
もしかしたら、徹夜で作業していたのでは?
もしかしたら、何か悩みがあるのでは?
もしかしたら、睡眠障害なのでは?
遅刻したという事実だけ見てしまえば、『悪』と思われることも、
彼には彼なりの真実があるという視点で見れば、
無断遅刻やむなしと思えたり、遅刻した原因を一緒に解決しようという
スタンスになることができます。
そして、もし、集合的無意識というものが本当に存在するとすれば、
たとえ全く同じ経験が無くとも、いやそもそも同じ経験などできる人はいないので、
根本的には同じ体験として感じ取られるある感覚というものがあるのではないかと
私は考えています。
仮に当事者でなくとも、自分が彼だったら同じ選択をしたかもしれない
という所から出発して考える事で、彼に共感をする。
そして、その共感をベースに、自分の経験に裏打ちされた体験として語る事のできる力
それが、ソーシャルメディア時代での発言の前提となる力(当事者性)なのでしょう。


2011-03-28 | Posted in |-【仕事論】No Comments » 
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