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慧能の米つき

禅の六代目、慧能。
慧能が禅を確立させたと言われているそうです。
その慧能が、五代目の弘忍と初めてであった時のこと。
弘忍が、慧能に対して出身を聞くと、南方と答えます。
弘忍は、あえて南方の人間に仏性はないと伝えると、
慧能は、全ての人に仏性があり、北も南もないと答えます。
弘忍は、さらに厳しく米つきでもしていなさいというと慧能は素直にそれにしたがいます。
慧能は正式な僧侶としてではなく、行者と呼ばれる、未出家の下働きとして道場に導かれたのです。
しかし、その後弘忍は慧能を六代目として抜擢します。
慧能は、米つきしかしておらず仏道修行らしい修行はしていません。
それでいて、禅の六代目になりました。
慧能は、弘忍に初めて出会った時、無知無学でした。それでいて、全ての人に等しく仏性があるという禅の本質を掴んでいました。
また、坐禅が修行の中心でしたが、それを生活一般へと広がりを持たせ、自身の実践によって本来の仏性を発見するということを成しました。
この禅問答には、正直感動です。
結局、目の前の現実との格闘の中で掴む、答えは自分の中にしかなく、何か特別な方法が有るわけでもなく、誰かが導いてくれるわけでもない。
自分の可能性を信じて、ひたすら目の前に没頭する事で、ある瞬間景色が変わって見える。
その事を教えてくれます。
日常生活全てに、学びがあり、
日常生活全てが、修行の場。
一日、一日を生き切る。
それが最高に自分を磨く方法なのだろうと思います。


2011-01-23 | Posted in |---禅の教えNo Comments » 
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