|-【人生論】

ポジティブ思考の落とし穴

ポジティブ思考をしているとき、あることに気づきます。
俺にはできる!
俺にはできる!
と思っているその裏で、
本当にできるかな?
大丈夫かな?
というマイナスの想念が溜まっている。
思う、考えるということは、分別をつけるということでもある。
それは、二項対立的に物事を捉えることにもつながりますね。
昨日、運気の話がありました。
運気の強い人は、例がいなく無邪気である。とのこと。
 
 無邪気。 
邪気がない。
物事に分別を付けていないから、ポジティブなことを思ってもマイナスの想念が一方に溜まらない。
私は、自分は運の強い人間だと思っています。
本当に本当に思っています。
起きていることには全て意味があると思っています。
さて、それでは私はポジティブ思考が強く、実は一方にマイナスの想念が溜まっているのか?
それとも、無邪気にそう思っているのか。
ある人曰く。
思考と生きるは違う。
ポジティブに思考するのとポジティブに生きるは似て非なることでしょ?と。
その説明を聞いてピンときました。
なるほど。
起きていることに意味があると思いつつ、
その意味は今はわからんと思っている自分。
 
現在、その真っ只中で、
起きていることに意味があるのだ!
必ず意味があるのだ!
と、思っているようでは、一方で、
本当に意味があるのか?
本当にこれでいいのか?
というマイナスの想念が溜まっている。
思考するというのは、意識上の世界。
一方、
あぁ、あの時のこの事は、この意味があったのか。
と思った場合。
 
これは、気づき。
気づきは、二項対立的な世界には陥らない。
つまり、邪気の入る余地はない、無邪気の世界であり、
真実は一つ。
 
そして、気づきとはある時突然やってくる。
そう、無意識から突然意識上に現れる。
無邪気に生きるとは、無意識の世界なのかもしれない。
そして、気づきは、結果として与えられるもの。
今おきているこの状態に意味付けしていくことではないし、今この瞬間に意味を見いだそうとするものでもない。
起きることに意味があると思いながらも、
その意味はすぐにはわからんと考える
その絶対矛盾の世界を、楽しめるのが無邪気な生き方なのかもしれない。
そして、気づいた。
無邪気に生きるには、どうしたら良いか?
ワクワクする未来を描く事。
ワクワクしている時、マイナスの想念は入り込む余地はない。
俺にはできる!
俺にはできる!
と、唱えるのではなく、
その先の、実現した状態を想像して、
無条件にそうなってる自分を信じて、
ワクワクし続ける。
そうか、ワクワクサゼッションしようよ。と、大学時代に言われたその意味は、こういう事だったのか。
 


2011-01-19 | Posted in |-【人生論】No Comments » 
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