|-【人生論】

2010年総決算『天地一切のものと和解する』

『天地一切のものと和解する』
この言葉は、私が昨年の秋、我が師から
頂いて以来、ずっと心に鳴り響いている言葉です。
我が師から頂いた言葉の中でどれか一つをあげるなら?
という問いがあったとするなら、この言葉を迷いもなくあげます。
そう、心にアンテナが立ったからでしょうか。
この一年間は、『無境界』というキーワードにいくつも出会った気がします。
特に生死に対して考えさせられることが多かったです。
今年はいくつかの映画を見ました。その中でも良い映画だったと思うのは、
サヨナライツカ、悪人、ノルウェイの森(正確にはその後原作を読んで)
サヨナライツカではこのようなセリフがありました。
『人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる
私はきっと愛したことを思い出す 』
私は、そのような区分けはなく、
愛し、愛されたことを思い出して死ぬだろうと思いました。
私が想いを寄せる人は、
過去形なんてない。現在進行形だ。
愛しているよと思いながら死ぬ。つまり、あの世へも持っていくと言いました。
悪人
何が悪人で何が善人なのか?
悪人であるとか、善人であるとか誰が決めるのか?
悪人の中にもその人の真実があり、
善人の中にも、悪人と周りに呼ばれるべき要素を持つ。
そこに、境界などあるのだろうか。見方の問題で真実は一つではないか。
というメッセージが聞こえてきました。
ノルウェイの森
映画こそ、その展開の速さに若干ついて行けない所がありましたが、
その後原作を手にして、なるほどと繋がった一言があります。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。』
そして、この一年で何人かの方と現世でのお別れをしました。
4月の終わり。50歳になったばかりの従兄弟が癌でこの世を去ました。
最期、ホスピスに入った従兄弟に会いに行きました。
その2週間後に従兄弟はこの世を去りました。
葬式に出席し従兄弟の顔を見ました。
死とはなんであろうか。
その事を深く考えさせられました。
無意識のうちに生まれ、
自分と世界に分別をつけることで、自分を認識し、
また、無意識へと還っていく。
私とはなにか。
私という境界線を宇宙全体まで広げるならば、
クリシュナムルティのあの言葉が響く。
あなたは世界であり、
世界はあなたである。
宇宙が自己認識の展開をするために人間を生み出したとするのならば、
早く、『私とは何であるか』を知りたいはずである。
死はその気持を加速するためのスパイスではないか。
もし、時間が無限であるならば、命が永遠であるならば、
きっと自分の人生大切にしない。
きっと私とは何者かなど考えもしない。
限り有る時間だからこそ、命が輝く。
限り有る時間のうちに最大限のことをしたい。
そして、私がやりきれなかった部分は後世に志として託す。
『俺はここまでやった。あとは頼むぞ、後輩たち!!!』
そう考えると、私の人生は私のものでありながら、
私だけのものではないという考え方も受け入れられる。
私の人生とあなたの人生に境界はない。
天の配剤があって、たまたまこの人生を生きている。
しかし、少しその配剤が変われば、私はあなたであったかもしれない。
そういう意味においては、私とあなたは無境界。
『共感』の本当の意味はここにある。
同情も憐憫も、私とあなたを分けた感情。
何か事に処するとき、この言葉を心で唱えて
その事に処してきた。
まだ、修行を初めて1年。
本当に腹落ちするには、10年の修業。
ただ、この一年の最後に気づいたことがある。
天地一切のものと和解したとしても、
心が楽になるわけではない。
共に生きる。
抱えて歩む。
穏やかに処す。
この覚悟が備わる事を言うのだろうということ。
決して解消ではない。
消えて楽になることではない。
和解なのだ。
一生の修行として、心に留めたい。
そう、思っています。
今年も残すところ後わずか。
来年度も良き年でありますように。
有難うございました。


2010-12-31 | Posted in |-【人生論】No Comments » 
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