|-【人生論】

志、大我、無境界、天地一切のものと和解する

ふと、10代、20代の頃の自分を思い返していた。

これだと思うと突っ走る、

もしかすると、一極へ振れすぎる性格だったのかもしれない。

今でこそ、年間に80~100冊の本を読むが

10代、20代の頃は本当に本を読まなかった。

本を読んだって何も身に付きやしない。

経験こそすべてだ。と思っていた。

特に私にとって大切だったのは、

父との対話。

この事が私にとって最大に大切だった。

父に口酸っぱく言われていた言葉。

『男とは、強さとやさしさ』

父が、単身赴任していて週末以外は

家を空けていた事、

年の離れた二人の妹がいた事、

そんな環境から、この言葉を口酸っぱく

言われたのだろう。

この言葉を世の中で実践することが

何よりも大切だと思った。

経験と言えば

アルバイトも本当にたくさんの事をした。

プールでの清掃。

園内はもちろん、トイレ掃除もある。

時には汚物の処理もしなければいけない。

生ゴミの臭いと格闘し、

更衣室掃除を汗だくになりながらやる。

塾講師

もともと教師になるのが夢で始めたアルバイト

子どもたちは本当にかわいい。

しかし、いきなり先生と呼ばれてしまう事に

違和感を覚えた。

このアルバイトがきっかけで、すぐに先生に

なることは辞めようと思った。

イベントバイト

イベントの派遣会社に登録して、様々な仕事を

経験させて頂いた。

工場での単純労働から、

ショッピングモールのオープニングスタッフ、

都内各地でのイベントの運営スタッフ。

色々な経歴の持ち主と出会い、いろいろな人の

価値観を得た。

そして、大学時代と言えばサークル。

ESSという英会話サークルに入った。

渉外というNo2の役職に就き、

サークルのイベントを取り仕切った。

これらの経験を反省を通して

自分の血肉としていった。

社会人になり、ソフトウエアの会社に

入ったものの、ここでは前述しているので

詳細を省略するが、8か月で退職して

外食産業に飛び込んだ。

店長職を通して色々な事を学んだ。

いろいろな失敗をした。

でも、自分の中で確固たるものはできた。

28歳で本部に行った。

『経験談には説得力があるが、そこからの広がりが無い。』

その言葉をきっかけに、読書を本気でするようになった。

それまでは、本当に本など読まなかった。

経験が全てだと思っていたが、自分の経験を

違った角度から整理するために読書をした。

世の中には、こんな理論や考え方があるのか

こんな風に考えている人がいるのか。

自分の行動は、このように説明できるのか。

新鮮だった。

100冊を超えたあたりから、いろいろな点が

線で結ばれ、面らしきものもできるようになった。

実践と理論のバランスを取る事の重要性を知った。

実践だけでは広がりが無い。

理論だけでは深みが無い。

そんな事を学んだ。

大学のESSでは、プレゼンテーションの技術を

磨いた。

CCF

NLC

ロジックの3角形

ロジックってすごいって思った。

これを身につければ、どんな説得もできると

思った。

論理的思考能力が最強のツールだと思った。

社会人になって、それだけでは足りない事に気付いた。

どんなに論理的に正しくても、周りの共感を得ないときがある。

「言っている事は正しいんだけどさぁ~」

そのような声をよく聞いた。

結局仕事は、人の感情で動く。そこに魂が入らないと

人は動かない。

『分かった。お前がそこまで言うならやってみよう』

『お前の心意気を買ったよ』

論理的ではない、一見非合理だろと思う所に

人が動く瞬間を目の当たりにした。

論理的思考能力に基づいた感覚的直観力

完璧を求めた時代

20代は、完璧な仕組みを作ることが仕事だと思っていた。

ある日、手書きで書いていた日報が、急に電子なった。

色々な経費を計算したり、売上に対する率を考えたりして、

日々の営業を考えるのが店長の仕事だった。

しかし、ある日突然ボタン一つで、全ての計算を

してくれるようになってしまった。

その数字がどのような意味を持って計算されたのか、

新しく来た社員には分からない。

完璧は、思考を止める。

思考を止めるという事は、改善が無くなる。

完璧はよくない。

そう、強く思った。

カオスの淵

もっとも生命的な活動が起こるのは、

混沌と秩序のはざまだそうだ。

確かに、考えてみれば当たり前かもしれない。

ばらばらなものを整理しようとする過程に力が及ぶが、

整理できてしまえばもうそこに対する力は必要ない。

整理しているときが一番エネルギーがいる。

確固たる軸。

これさえぶれなければ、

仕組みの部分は、運用者、環境、時代によって

常に変化してもよい。

車のハンドルのように遊びが無いとだめなのだ

と思うようになった。

そして、達成感ばかり求めた時代。

目標を掲げ、それを達成して喜ぶ。

また、さらに高い目標を掲げる。

その循環の中に成長があると思っていた。

でも、一つ気付いた事がある。

目標を達成した時に感じる虚無感、欠乏感

この虚無感、欠乏感を埋めるべく次の目標を探す。

これを繰り返し続けるのか?と疑問に思った。

世界に目を向けると明日のわが身の保障もない

人達がいる事を目の当たりにする。

自分は生かされている。

今、ここに在ること自体が尊い。

自分は、日本に生まれて幸せだ。

この幸せを自分一人だけで享受していていいのか?

そんなはずはない。

この幸せに感謝して、自分の力を少しでも

世の中に還元していかなければならない。

『感謝』という言葉が

自分の中のモチベーションとなった。

志、大我、無境界、天地一切のものと和解する。

自分は自分でありながらも、

この地球の歴史の一ページを担う存在。

ちゃんと、次世代にバトンを渡していかなければならない。

そう考えた時、

己一代などという思想は超えた。

私がではなく、私達がという私の範囲が広がった。

私と、あなた等という境界は無くなった。

後は、行動するのみ。

さぁ、これから何が起こるのか。


2010-06-05 | Posted in |-【人生論】No Comments » 
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