|-【108話のメッセージ】, 死生観、使命感、人生観

第百七話 我は神を知らず、我ただ神を愛す

西田幾多郎『善の研究』の最後の言葉

私は、神様という存在があるかは信じていませんが、
『大いなる何か』があるという事は信じています。

自分の過去のどの選択の一部を切り取っても、
人生のどの一秒を切り取っても、
今の自分はいません。

楽しかった事も、辛かった事も、
嬉しかった事も、悲しかった事も、
すべて、何らかのメッセージを持っていた。

全て、意味があって起こった。
それらの経験があったから、今の自分がある。

自分は生きていると思っていたが、
一方で生かされている。

自分の死の瞬間は分からないし決められない。

しかし、自分の意思を持って歩もうとする。
自分の人生でありながら、自分だけの人生ではない。

このような、矛盾の中で生きている。
自分が思った通りに行かないが、
図ったかのような出来事があり、
今、自分は幸せを感じている。

自分で定めながらも、大いなる何かに導かれている。
その感覚を20代の頃から感じている。

神という存在がいようがいまいが確かめる気にもならない。
ただ、大いなる何かを私は愛する。信ずる。

人生の一瞬一瞬が愛しい。

与えられたこの命、
さあ、何に使うか。


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