|-【人生論】

境界線を引く事が悲しみの始まりだった。

現在の資本主義社会を根本から理解するとしたら、

西洋と東洋の文明比較をして行かなければならないかもしれませんね。

中でも、宗教については理解しておかないと、

世界の事は分からないんでしょうね。

キリスト教に代表される一神教

そして、日本などの多神教

比較をよくされますよね。

多神教は森の宗教、一神教は砂漠の宗教と表現されるそうです。

多神教の象徴は蛇。

一神教の象徴は十字架。

神社のしめ縄も実は蛇。エジプトの王のマスクにも蛇が飾られてますよね。

蛇は、再生の象徴、男性のシンボルに似ていることから、生命力の象徴、

そして、毒で相手を仕留めるという人間を超えた能力を持つことから、畏れられていたそうです。

モーセは、そのエジプトから逃げ出していくわけです。

多神教の信仰をつぶすには、蛇を悪役にしなければならない。

イヴに毒りんごを食べろとそそのかしたのは?蛇です。

メデューサは、髪の毛がへびの怪物ですね。

多神教をつぶすために、多神教の象徴を悪にしてあげたわけですね。

ある、遺跡で、十字架と蛇が彫られている土器が発見された。

もともとは、十字架と蛇は共存していた。

本来は境界線の無いところから宗教は生まれたのではないでしょうか。

一神教、おもにキリスト教は、境界線を引く宗教です。

キリスト教徒と異教徒、階級社会、所有の概念、私と自然、私と他人。
個というものを浮かび上がらせ、その個の欲望を最大限に満たすのが現在の資本主義というシステムです。
境界を引くこと、区別をすること、切り分けること、これらを通じて科学は発展し、先進国は豊かになりました。

と、同時に、境界線を引く事で、他人との区別、比較、差別が生まれ、

それによって、恐怖心が生まれ、自分の領域やモノを取られたくないという気持ちから

争いが生まれ、今の世界の悲しみがあるのだと思っています。

昔の日本には所有という概念はなかった。みんなでシェアしていた。

私と他との境界線をなくす方法。

それは、大我に向かう事と無我に向かう事という。

私とは世界である。

我々という思い、一致団結、皆の心が一つに。

これらの感情は、私ととらえる範囲を世界に広げている。

そうすることによって、境界線がなくなっている。
そして、無我。

無我夢中。

私など無い。という事に気づく時、世の中との境界線は消えている。
私と他との境界線を消す事が出来たら、世の中もっと平和になるのかな?って思います。

もともと宗教が境界のないところから生まれたのなら、その生まれた場所に戻ることができるだろうし、
ユングが言う、『集合的無意識』というラインで私たちがつながっているのならば、

私たちは互いに分かり合えることができるのだろう。

 天地一切のものと和解する。

 この和解する。という事は、実は、境界線が無くなるという意味なんだろう。
 僕の中でのキーワードが生まれてました。
 私とあなたの境界を無くす。

 私と自然の境界を無くす。

 実は、仕事においても境界を無くす努力をした方がいいことってある。

 本部と現場

 部署同士のセクショナリズム

 競合他社との関係

 役割分担なのか、境界を引いてしまっているのか、

 考えてみなければならない事が結構ある。

 お客様という視点からした時、それだったら、競合企業のあの会社の製品を

 お求めになられた方がお客様の為ですよ。

 と、心に一点の曇りもなく提案ができるのならば、本当に境界を無くせていると思う。

 天地一切のものと和解する。

 この言葉は、僕の中で、最重要キーワードとなりました。


2009-11-22 | Posted in |-【人生論】No Comments » 
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