|-【仕事論】
「俺が」から一段上がる
アーティストは、境地に達すると、
「この作品は自分が作った作品ではない」
という感覚に襲われるそうです。
何かに導かれたりとか、様々な人との出会いとか、そういった過程の中で結果としてできたものであって、自分ひとりで作ったものではないという感覚にふと襲われるそうです。
結果として得るものを、目的にしてしまう病がある。
と田坂先生はおっしゃられています。
例えば、創造性。
創造性をつけるにはどうしたら良いか?という議論があるが、ピカソは創造性を付けたいと思いながら、絵を描いてきただろうか。
結局、自分の思いをぶつけ続ける中で、世の中の人が創造性のある絵だと評価したに過ぎない。
それを、ハウトゥにして学ぼうと思っても学べるものではない。
その時に、重要なワード。
無我夢中
無我夢中の言葉の中には、「我を無くす」という言葉がある。
俺はがんばっているのに・・・とか、
俺が一人でやってきたんだ・・・とか、
心の中にあるうちは、結局その仕事にはエゴしかない、周りを含んでいない世界となる。
かといって、自分を捨てろという考え方も少し違う。
それは、結局自分を抑止してるだけである。
であれば、どう考えるのがよいか?
自分は全体の中の一部だと考える事。
自我から、一段上がって、大我と考える事。
そう捉える事ができたなら、一段次元が上がる。
そう全ての事を捉えて、生きることができるには、やはり
「感謝」
という言葉なのだろう。
自分は、周りの人に支えられて生きている。そのことが分かれば、「俺が」「俺が」という気持ちはやわらいでくる。
全ての事を受け止める姿勢が備わる。
そんなことを学びました。
まさに、アビリティーではなく、コンピテンスの世界だなと思います。
僕も、今の仕事で、「俺一人でやっている」と寂しくなった時期がありました。
僕含め4人いたのに、3人は離れてしまい、実行部隊は僕一人になりました。
「もう俺以外いない」
「俺がやらなきゃ」
「俺が結果残す」
そんな、意地で働いていた時期がありました。
でも、これは自分だけの仕事じゃないって分かりました。
アルバイトさんを集めるために広告を作ります。
広告を作ってくれているのは、同じ採用チームのメンバー
それを校正してくれるのは、パートさん
それを出版してくださるのは各媒体業者様
アルバイトさんからの応募受付をしてくれるのはコールセンター
メンバーの受け入れ先を決める手伝いをしてくれるのは、HR
ルーチン業務を引き受けてなるべく思考業務を僕にやらせて
くれるように協力してくれたパートさん
これらの人達の協力があったからこそ、一つの形として結果を残し、
次のステージへと上れるわけです。
確かに矢面に立ったのは自分だけ。
だけど、俺だけがやった仕事じゃない。
いろいろな人の協力があるからこそ成り立つ事。
その時、「すべてに感謝する」という意味が
言葉で分かっていたけど、経験として分かりました。
「俺が」から一段上がる。
このことを大切にしたいと思います。
やっぱり田坂先生は素敵です。
もう、これ以上泣かせないでください^^;