|-【恋愛論】

恋~GLAY~と思う事

無邪気な関係も 形を変えてゆく
 まして男と女 脆くて 弱くて
 馴れ合い暮らすより 別れて生きてゆこう
 僕の心変わり 時の移ろい
 
 よくある話のように 優等生な恋愛なんか無い
 咲いて散る花 優しさは恋
 無償の思い  明日なき2人
  
 出逢い とまどい 傷つけては恋
 治しては愛 答えなき問い
 
 相思相愛 初めての恋
 一途な思い 果てなき未来
 
 叶わぬ願い 厳しきも恋
 奪うのが愛 降り積もる迷い
 
最近思いますが、なんか「好き」っていろいろな好きがあっていいのかな?って思うんですよね。
僕ら人間、「理性」ありますが、やっぱり「動物」なわけですよ。動物の全ての行動は、「電気反応」なわけです。そう捉えるとすべとの事が納得できる。

それと、もう一つ大切な事、それは、
 好きだった感情を「忘れる」
 「忘れる」
は、動物の特性。この「忘れる」があるから、また、
「好き」
になる。
 その、好きという感情は、本質を言ってしまえば、
「電気反応」
なわけ。
「言葉」
っていうのはさ、様々な「電気反応」たちを人間がどうにか区別するために、
「切ない」
とか、
「寂しい」
とか、
「愛しい」
とか、
「憎い」
とか、
「愛している」
とか、いろいろな「言葉」を作って表現しただけ。根本は電気反応で、感情の出所は「同じ」である。
 人は「忘れる」
 だから、愛に
「永遠なんてない」
「絶対なんてない」
と言える。
じゃあ永遠に一人の人を好きである方法はないの?
「あるよ」
「好き」という「電気反応」を常に起こさせ続ければいい。
つまり、
「刺激」
が、いつまでもあればいい。その「刺激」をお互いがし合えば、いつまでも
「好き」
という
「電気反応」
は起こりつづける。つまり、それが
「永遠の愛」
につながる。
「刺激」。それは、
「互いの成長」
この人といると自分は成長できるなという感情
であったり、
「互いに尊敬する心」
であったりするんじゃないかな?その「刺激」がなくなると、
人は、人を
「好きでなくなる」
そして、
「忘れる」
そして、また新しい人を
「好き」
になる。それが、
「恋」
じゃないかな。
だから、いろいろな「好き」があって、いろいろな「恋愛」があって、いろいろな「電気反応」を起こす「刺激」があって、
みんな
「永遠の愛を信じたくなる」
んじゃないでしょうか?

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2007-01-27 | Posted in |-【恋愛論】No Comments » 
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